コラム&エッセイ

 

急性胆嚢炎手術の事

2020年9月26日 記

    925日に予定したコンサートは私の胆石が悪さをしたため中止せざるを得ませんでした。 音楽会に来てくださる予定を立てていた方々には本当に申し訳ありません。1215日に延期して同じホールで行います。 20日に高熱と痛みで病院に行って検査したところ、急性胆嚢炎で即日入院・手術を申し渡されました。腹腔鏡手術であったので回復は早いと思います。25日に退院し、痛みもなくこの文章を書いている26日からは普通の生活に戻っています。 悪性リンパ腫で入院した同じ病院でしたので当時の治療・副作用・療養生活のことを思い出しました。

今日書いてみたいのは、病の後に私に起こった精神的な変化についてです。奇妙なことで説明が難しいのですが、私にとても大切なことを気づかせてくれたのです。

リンパ腫治療は抗癌剤でなされますが副作用は苦しいものです。そういう苦しい時に我が家の庭で花や虫や空を何時間もぼんやり眺めて感じた世界の広さ、新鮮さが素晴らしいものだったのです。私は私の人間としての形がしっかり存在感をもって在るのを実感した。意識をもって何かを見ようとするのではなく、ぼんやり眺めているときには、何か気体のようなものが体に自然に入ってきて強い人間であったのです。見ようとすると見えなくなって、ぼんやり眺めていると無限に見えてくる世界に驚きました。そうすると音楽の聴き方も変わりました。音の中にある豊かさが、意味において変わったのです。真偽を即座に判断し迷わなくなりました。言い換えれば私の体は美しいものの中の最も美しいものだけを受け入れる器になったのです。
これはすべて私の個人的な体験です、日本的な言い方をすれば、悟りを開くというような変化に思えました、無我の境地です。
何か月にも及んだ治療と療養の中で私の体は筋力を失い体重も20キロ減りました。そんなフラフラの状態からピアノを再び始めたのです。私の手は痩せ、娘の細い手よりも細かったのです。おまけに副作用で指先は痺れて感覚がなく、指が鍵盤のどの深さにあるか解らず、目で確認してそのポイントを体の遠く離れたところで感知するように私のセンサーを移設せざるを得なかった。私は急いで病気前の状態に戻ろうとはせずに、ただひたすら音楽する身体を呼びよせようと、これまでに作り上げた私の方法論に従ってゆっくりと再弱音から音を作っていきました。何かを期待するでもなく意識を強くして集中することでもなく、音を庭で感じた自然のようにぼんやり眺めようとしたのです。不思議なことが次々に私の身体を通して語り始めました。私はそれに従えばよいだけです。決して頑張りすぎず、微かな音で弾いていくと音のニュアンスが無限に聞こえてくるようになりました。それは自分が弾いているというより聞こえてくる音楽だったのです。弾き始めて数か月後にはショパンのエチュードを前より音楽的に弾いていました。問題が全て解決したとは言いませんが、今後10年の課題として楽しみなものとなったのです。
今回、また手術。入院して癌の時ほどではないが、ふにゃふにゃ状態からまた練習を始めましたが、新たな発見がありました。これからも色々困難な状況があるでしょうが、工夫は無限にあります。
 
病院で集中治療室から一般病棟に移る時に迎えに来てくれた可愛いい看護師の人が「安井さん?覚えていますよ」と話しかけてきた2年前の癌の時も同じ病棟だったのでした。彼女は明るく微笑んで 「おかえりなさい!」と。私もつい「ただいま」と応じてしまったのでした。病院は避けたいが、無我の境地には常に在りたい。そこには“帰れる”と思っています。

 

以前書いて載せていなかったエッセイを読み直して、何本か掲載することにした。今日はフルトヴェングラー。苦しいときに縋るように聞いていた時を思い出す。

フルトヴェングラー Furtwängler

2019年3月8日 記

抗がん剤による化学療法も4回目を終えたが副作用は回を重ねるごとに重くなるものらしい。体がだるくて動けない日が多いのだが、音楽は毎日たくさん聞いている。音楽を聞くと体と精神が甦る。生命力の弱った身体は感受性が鋭くなるというのは本当のようだ。音というものは不思議なものだと思う。音を聞くということはその音が発生した原因を統合し探る働きを持つようだ。例えば隣の部屋で何かが割れた音がすれば、陶器なのかガラスなのか、大きいものか、小さなものか判断がつく。スイカでも叩いて熟していることを知り、医者は胸を叩いた音で内蔵の様子を知る。つまり人間にとって聞くという事は情報を統合し判断するようにできている。視覚というのはまた別の認識の道のりを経る。視覚はどちらかと言えば知的に分離し認識するように働く。音楽の原始的起源についての私の空想だが、人間が言葉を話すずっと以前から音によるコミュニケーションがあったのだろう。音楽の母体は人間の体である。心臓の鼓動はリズムになり、呼吸から生じる声は感情を表し、危険を知らせ仲間としての共同意識を育んだのであろう。今日においても人と人の関係において音は決定的な役割を持っている。話される言葉を支える音は話す人間のすべての経験を含んでいるもので言葉の意味を正しく示しているものだ。信用できる人、何か嫌な感じを受ける人、また会いたい人、二度と会いたくない人、色々いるでしょうが、我々はそういう音を介した直感の中で生活しているのである。音楽演奏も正に人間の内部から発する音で音楽を伝えているのである。

さてここでフルトヴェングラーに話は移る。私は一日中音楽ばかり聴いているが、聞く演奏家は限られている。その大半はフルトヴェングラー指揮のベルリンフィルハーモニーの演奏だ。その感動の深さは言葉では表現できないし、言葉を探そうとしたくもない。ただ音と音楽に身をゆだね、生きていることを実感するだけだ。ほとんどが実況録音だが、聴衆の中に潜り込んだような気持ちで一緒に聞き入っている。
同時代には大指揮者といってよい人たちが大勢いるし、あの時代の音楽は現代とは異なった響きを持っていて、私も他の指揮者にもそれなりに魅力を感じていたのだが、フルトヴェングラーとは比較にならない。フルトヴェングラーは創造者としての絶対的なものを有している。他の指揮者とは全く違う。フルトヴェングラーを聞いた後では、生ぬるい音楽は聞けなくて直ぐにレコードを止めてしまう。
室内楽ではブッシュ弦楽四重奏団を聞く。常に気高さがあり音が生きている、音楽に没入して作曲者の内面の音を引き出す。カペー弦楽四重奏団もよい。それと今回発見したのだが、ヴェーク弦楽四重奏団の演奏も素晴らしい。シャンドール・ヴェークについては前に書いたが(音楽についてのエッセイ; 忘れ得ぬ音)、ベートーベン弦楽四重奏曲全曲が出ていることを最近知った。私は一日で16曲すべて聞いてしまった。
名曲はたった一つの名演が支えているのだという事を改めて思う。すべてが名演とはならなくても彼らの名演奏が示した道を沢山の演奏家が追い、音楽活動が現在も続いているのだ。あとは、カザルス、クライスラー、ヌブー、ティボーなどが好きだ、音に生命が漲っている。しかしフランスの演奏家は安っぽい曲も魅惑的に演奏するが、そういうのは聞かない。ピアニストでは私はケンプが好きだ。このピアニストについては改めて書きたいが、生で聞けた音楽家の中で最も影響を受けたピアニストだろう。エドウィン・フィッシャーやコルトー、それにラフマニノフの自作自演、ヨゼフ・ホフマン、やダルベールといった往年の名手の演奏は現代のヴィルティオーゾといわれる人々を謙虚にしてくれるだろう。
いまはユーチューブで往年の名手の知られていなかった録音が出てくるので楽しみに検索している。音楽は素晴らしい。

 

音楽と共に生きる ある手紙から

2019年2月24日 記

    昨年であるが、私が病で闘病していることをホームページで知った昔の生徒から手紙をいただいた。芸大の楽理科に進んだ人で、高校時代に指導していた。このような手紙であった。   「教えていただいていた時に、景色や音楽がキレイなのではなく、そう感じるあなたの心がキレイなのだよ、と言っていただいた頂いたことを今も覚えています。私は音楽を仕事にするほどには取り組めませんでしたが、先生にお会いして大学に進み、今の人生につながりとても幸せに過ごしています」というお手紙であった。大変に嬉しい手紙であった。 小林秀雄の言葉に「花の美しさなどというものは無い、美しい花があるだけだ」というのがあるが、それが頭に浮かんでの言葉であろう。なぜ花は美しいのだろうと、どんなに花を研究し分析しても解るはずはない・・・、美しいと感じる自分の心のあり様によって見え方がそれぞれ異なるのだから、という事です。 音楽と共に生きるということは、何も音楽で飯を食う事ではない。この生徒のように音楽を愛し自分を見つけ人生を確かに歩むことが一番大切なことなのだと思う。それは確かに音楽が教え導いてくれた道であったのだから。

音楽を聞く難しさについて
 
教員時代に生徒に新しい曲を与えると、すぐに図書館などでCDを聞き、感じを掴もうとするようだった。それ自体は悪い事ではない。好奇心と知識欲、向学心がそうさせるのであるから否定する理由はない。しかしいつも驚いたのは、誰の演奏だったか答えられる生徒が驚くほど少なかったという事だ。するとそのうち、誰の演奏を聞けばよいでしょうか、となる。これには本当に困って、いつも暗い気持ちになってしまった。演奏するのは難しいが、音楽を聞くのは易しいと思っているのではないかと考えたからだ。仕方ないから、生徒たちには昔の人の演奏をたくさん聞いてごらんと答えることにしていた。作品を知ろうとするのではなく、その演奏家をじっくり聞くことだ。音楽を聞くという事は情報を得ることではない。聞きとるべきは演奏家の心であり信念であり音楽に対する態度なのです。なんでも手軽に早く済ませたいという現代人の強迫観念のようなものをどうしたらゆっくりと味わいながら人生を歩むように仕向けることができるのだろうか。
 音楽を聞くということは実は大変に難しい事だ。それは経験を重ねていかないとわからない事なのだろう。若いときには、とにかくたくさん聞くことを薦める。自分の専門の楽器ではなくピアノを学ぶ人ならば室内楽や交響曲。声楽曲、を聞くことを薦める。私が大学生時代、夏休み冬休みに、目標を立てて聞いたものだ。先ずはベートーヴェンの交響曲全部。良い演奏家を選びレコードを揃え、楽譜も用意して何度も聞いたものだ。冬休みにはベートーヴェンの弦楽四重奏曲、次の休みにはワーグナーのトリスタン。対訳を勉強し、スコアーを用意し味わう。そういうことを何回も繰り返せば体験した音楽が増えていく。先ずは知る事である。その後に考えることが来る。考えるとは対象と交わる事と、宣長は言ったそうだが良い言葉だと思う。その先に信じることが来る。美しいと感じるときには心に信じることが生まれているはずなのだ、その心の中を丹念に探せば自己の原点が見つかるはずだ。不思議に時間のかかる作業であるが、この学び方しかないのではないかと思う
音楽の美しさが強烈に身に染みた時、その人は音楽と共に生きていると言えるのである。

 

オルガンの音

2019年2月2日 記

    抗がん剤による化学療法も三回を終わり、体も心も慣れてきた。何よりも今回からは自宅から通院で点滴などの治療をできるので気分も明るい。この治療は6回か、症状によっては8回も続くようであるが、副作用の出る期間と普通に仕事できる時期がわかってきたから、レッスンや練習も無理のない範囲で再開した。やはり音楽をしていると活力がわいてくるのを感じる。闘病記も今回を最後にして、音楽活動に復帰に向けて頑張っていきたい。この三ヶ月は様々なことを考えさせてくれた貴重な時間であった。音楽への初心に返り得たことをありがたいと思っている。70歳代を自分の音楽人生の総まとめとして考えていたが、そのスタートを病気のおかげで良い形で始められたようだ。まだ副作用によって指の先に痺れがあり、まるで火傷をした後の皮膚のような感じである。ピアノを弾くと感覚が無いのと、痛いのとで長くは弾けない。力の流れを整えタッチにおける指のセンサーの場所を遠くに持っていくことで解決できそうであるが、コントロールにおいて大変な集中力を要する。しかし新たな音が生まれそうな楽しみもある。時間はかかるだろうが新しい道を開拓したい。

 今日も朝の音楽を一人静かに聞いた。シュヴァイツァーのバッハである。素晴らしいバッハの演奏を聞いてオルガンの音の想い出を書きたくなった。レコードにはアルザスの教会での録音とあるから、多分ジルバーマン制作のオルガンであろうと思われる。僕はオルガンの音を聞くのが好きで、ヨーロッパを旅するとその地のオルガンを聞くことが楽しみの一つであった。アルザス地方にはジルバーマンのオルガンが残っていて、ストラウスブールの町にもジルバーマンのオルガンがある。ある時その教会を訪れたが生憎閉まっていた。教会というものは常に扉は空いているものだから不思議に思ったが、微かにオルガンの音が聞こえてきた。練習しているらしい。雨の日で寒かったのだが、耳を澄まして聞いていると、中世から突然出てきたような門番が大きな鍵の輪をもって現れた。何をしているのかと聞かれたから、自分は音楽家でこの教会のジルバーマンのオルガンを聞きたくて来た。と言ったら扉を開けて中に入れてくれた。ジルバーマンのオルガンの遥か遠くから降ってくるような音に感動した。一時間以上夢見心地で聞いていた。

初めてオルガンの音に驚愕したのは、リューベックで音楽大学の入学試験を終えた日の夜、ヤコビ教会でオルガンの演奏があると知って聞いたのが最初であった。やはりバッハの作品であったが、あのような強烈な音体験は初めてであったといってよい。背中から音が体をまるでレントゲンの光線のように突き抜けるような感覚に感動し、ヨーロッパの歴史、ドイツで音楽というものが持っている厚みに圧倒された。のちにリューベックに住むようになってヤコビ教会のオルガンは毎週の楽しみになった。リューベックはバッハが若い頃にはブクステフーデがマリア教会のオルガニストであり、彼の演奏を聞きにバッハも訪れた町である。美しい尖塔が遠くからも見えるドイツの中でも宝石のような町である。残念ながら戦争によってマリア教会など多くの建物が焼失しオルガンも失われてしまったが、ヤコビ教会のオルガンは幸いに残った。北ドイツにはプロテスタント教会が多い。南ドイツに多いカトリックの教会とは趣を異にする。装飾性は避けられて白い壁に囲まれた簡素ともいえる空間である。北ドイツ楽派といわれるベームやブクステフーデ、バッハなどの音楽はこのような教会で聞くのが好きだ。プロテスタント教会の持つある種の厳しさが音楽と重なって厳粛な空間となる。 
 
リューネブルクはハンブルクから電車で一時間ほどの町である。ここにはバッハが少年時代寄宿生として住んだ町で、当時はベームがいたヨハネス教会があり、ここのオルガンも本当に素晴らしい。このオルガンは日本に帰国したのちドイツに行き来する間に聞いた。ハンブルクに住んでいる間にもっと聞きたかったと強く後悔した。このオルガンは古風な、日本的に言うと枯れた深い味わいがあり、静かな中にスケールの大きい広がりを感じる幸福感がある。厳しい思想を温かく語られているような気持ちになる。
 
ハンブルクにはシュニットガーというオランダからの流れをくむオルガン製作者のオルガンがある。ハンブルク周辺の町の教会にもこのオルガンの音がいまだに生きて響いている。ヨーロッパを旅するとどこにでも町の中心には教会がある。そこには長い時を人々と共に生きてきたオルガンの音がある。
 

一昨年ドイツに行ったときにリューベックとリューネブルクの町の中間にあるメルンという町を歩いた。ドイツの田舎町はどこも美しい。ここにも教会があったので入ってみたら堂々としたオルガンがあった。聞いてみるとやはり17世紀からのもので小さな町ゆえに爆撃を免れたそうだ。CDに録音されたものを聞いてみると深く精神に働きかけるドイツ的な音があった。
 
カトリック教会のオルガンについても書いておこう。スイスのルツェルンの町を歩き教会の前を通りかかり、その夜にオルガンが聞けることを知り行ってみた。美しく天国のような装飾性を帯びた空間であった。そのオルガンの音は北ドイツとは異なって、無限に優しく温かい音であった。そこでメシアンのオルガン曲を聞いたのだが、メシアンに対してそれまで持っていた先入観が一気に覆った。なんと美しい響きであろうか。学生時代にメシアンの音楽が紹介されピアノ曲も聞く機会があった。鋭く乱暴な演奏ばかり聞いていたせいか、ぼくの不勉強もあって好きになれなかったのだが彼のオルガン作品を聞いてカトリックの熱というものがわかったような気がした。パリのノートルダム寺院のオルガンの音も正にカトリック的な、言葉を変えるとマリア様の温かさに包まれるような響きであった。
 
音を全身に浴びるような体験なしには音楽というものはわからない。美しさが身に沁みるという体験が良い人間を作る。指揮者で真の教育者でもあるチェルビダッケが言うように、音楽とは音を体験することだ。単に耳で聞くのではない。体に打ち込まれる音を体験することだ。この違いは大きい。頭は後からついてくる。言葉はずいぶん後から生まれる。オルガンの音の体験は私の音楽の中で生きている。
 

 

「志しを抱く」という事について

2019年1月8日 記

    ニ回目の入院中で抗がん剤の化学療法を受けている。一回目は副作用が強くかなり消耗したが、今回はすでに経験したことで予測もつくので前回よりは気分は安定している。個室に入れたので静かで快適である。窓からは富士山や東京スカイツリーと東京タワーも遠くに見える。朝日に光る富士と日没後のシルエットとなった富士がきれいだ。副作用の一種らしいが指先が痺れていて感覚がなく、細かい作業に苦労している。ペットボトルのふたを開けるとか、おしぼりタオルを破って開けるとかが出来ない。熱さも感じないから気を付けないといけない。入院前その状態でピアノを弾いてみた。指が鍵盤のどの深さにいるのかが判らない.鍵盤の下からの抵抗を自動的に図るセンサーが機能しないようだ。違和感があったが、これは視覚によって確認しながら新しいセンサーの設置場所を、時間をかけて再調整すれば戻るであろうと思われる。もう一度慎重にタッチの触覚と音質の聞き分けに集中すれば新たな可能性が生まれるのではないかと、ひそかに期待するものもあった。長くピアノを弾いている人には誰にでも経験ある事であるが、僕もこれまでに手の状態に関して何度かピンチがあった。そのたびに弾き方を変えて進歩してきたように思う。ピンチはまたチャンスでもある。精神的にもそのようなことが起こるものだから大切にしている。

今日は「志しを抱く」ということを考えてみたい。いささか古めかしい言葉で若い人にはうっとうしく響くのかもしれないが、皆が知っている「兎追いしかの山」で始まる懐かしい歌にある「志しをはたして、いつの日にか、帰らん」と続く、あの「志し」である。その志しは心の故郷でもあるのだ。人は社会の中で役割を与えられ生きていく。僕は音楽や芸術に携わる人間を沢山見てきたし大学で多くの学生に接してきたが、「志し」といえるものをもって人生を生きていける人物を見つけるのは難しかった。素晴らしいピアニストになりたい、とか有名になりたいというようなものは目的であって、「志し」ではない。
 
 僕はどのような分野であっても仕事に生きがいを感じている人を見るのが好きだ。毎週移動車でやって来ていた魚屋さんは元漁師で魚に詳しく料理の仕方や旬の魚を指南してくれた。長く付き合っている大工の棟梁は良い職人で人望も厚く、連れてくる職人の腕も見事なものである。趣味も広く社交ダンスや、民謡を歌うコンテストにも出場するくらい熱心だ。職人に教えるときには厳しいが根はやさしい人だ。改築に当たりこちらが希望を言うと決して出来ないと言わない。たとえそれが難しくとも何とかするのが職人の腕だと思っているのがわかる。庭師は28代続く庭師で我が家の猫の額ほどの庭木の剪定など頼んでいる。寡黙である。裏の木立の樹が大きくなり日が当たらなくなって弱った梅の木を思い切って切ろうかと思い相談すると、じっと木を見て、「咲きたいけれど咲けないのだ」と、ぽつりと言い、「枝ぶりがこのようになるには年月もかかる、生かそう」と言って土を柔らかくし肥料を施して枝を縄ひもで面白い形に整えて帰った。木に手を添え眺める姿が美しかった。次の春、梅はきれいに咲いてくれた。棟梁といい、庭師といい、左官や板金の職人も皆それぞれ天職を得たという存在感のある人たちである。このような人を見るのは嬉しい。そういう人間を見ると、そこに人としての「志し」を感じるのである。職人のこだわりを持ち、技を磨く厳しさが職に対する倫理観を養い人間として成長した人たちである。
 
 これまでエッセイで書いてきた内容から私がアナログ趣味でノスタルジーに浸るロマンチストに見えるかもしれないが、私の中には、科学の時代に期待し、我々の生きる社会がこの先どのように違ったものになるか、楽しみにしている自分もいるのだ。
 私たちの時代が、科学と人間をどのように両立していけるかに関心をもって見ている。今は先端の科学者のほうが、科学の将来の在り方について真剣に考えているように見える。すべての科学の基礎には人間の直観、すなわち想像力が原点にあるからだろう。それらは感受性という極めて人間的なものから育っていく。優れた研究者の姿は、自我との深い対話を通して成長する人間の姿の写し絵となっているものだ。音楽や文学、芸術は人間建設の基礎として重要なものであるが、その点の認識が特に音楽する人間、指導者に欠けていて寂しい思いをすることが多かった。ものを感じる心は誰にでも備わっていると思っている。しかし感受性は磨かないと直ぐに衰えることを知る人は少ない。自分より優れた感受性を持っている人に驚くのが芸術の味わい方である。ホロヴィッツの弱音の繊細さ、ケンプの音楽の気高さは、長い年月をかけて磨き上げた感受性が直観力(全体を一気に把握する力)や創造力(自分が予想もしていなかった世界の発見)へと達した姿だ。
 
 志しを持つという事は単に考えて目的を定めることではない。科学者になりたい。音楽家になりたい。という強い気持ちで努力することは大切なことだ。しかしもう一つ人間的な温かな心の源泉を持つことがより重要なのだろう。良い音楽家になって何を実現するのか?何のために科学者になりたいのか?その初心を大切にしてほしいのだ。人間の幸せのためになるように、音楽の素晴らしさを伝えるために、自分を犠牲にしてまで成長したいという熱い心が、志しとなるのではないか。マザー・テレザの背中を押し続けたのは彼女の神だ。自分というものを一度捨てて何物かのために自己犠牲を払うという覚悟と勇気が志しを作っていくのだと思う。毎日の練習の中でも志しは生かされる。音楽演奏で大切なのは普遍性を持った音楽の器をしっかり作る事であり、その器の中に人が安心して入ってこられるように自己を制御することだ。これは単に自分を大切にして(よく使われるフレーズであるが、自分の何を大切にするのかが曖昧である)心を籠めて弾けば叶うようなものではない。音楽のために自分は何ができるのか、その音楽で人間に何を伝えられるのかを問い、自らの技を極めていくのが芸術する悦びであろう。
 
 つまり「志し」とは何かのために自分を犠牲にしてまで成し遂げたいと思う熱い気持ち、そのものである。戦前の音楽家の顔は立派である。修行僧のような厳しさがある。科学者にしろ、経営者にしろ、学者にしろ、立派な業績を残す人には厳しさがある。この厳しさだけが本物を作り出せる。「志し」は人から教えてもらうものではない。
 
 人生にも大切な時期といえる頃がある。20代から30代前半が僕にとってはその時期だったように思う。その時期に敷いたレールの上を歩んできた。才能とか能力には人それぞれ限界というものがあり、僕も日々そのことを痛感するが、それでよいのだ。精一杯志しに生きることが人生を豊かにしてくれる。あのころ心にあったものからは何一つ変わっていない。50年も前にレコードで聞いた音楽を毎日聞いていることは前回書いたが、歩いてきた道を振りかえる時、あの時代を貴重に感じている。

 

レコードの音

2019年元旦 記

  今は、ほぼ毎日レコードで音楽を聞いている。一と月半で15キロも痩せた体にはまだ体力はなく横になっていることが多いが音楽を聞くと細胞がうごめき始める。こんなに集中して音楽を求め聞くのは本当に学生時代以来ではないかと思う。往年の名演奏ばかり聞いているから精神的には清らかで高揚した気分で療養生活を送っている。  

今日はレコードの音について書いてみよう。
昔はレコードしかなかったからレコードで音楽を聞くのは当たり前のことであったが、CDが登場してからはデジタルの世界にアッという間に移行してしまった。しかし僕はどうしてもCDの音には違和感があり、まじめに聞いては来なかった。便利ではあるから大学の授業などには利用したし、いつの間にか所有するCDの数も増えていった。駆け出しの新人が自分のCDを製作し名刺代わりに差し出す時代である。しかしCDには生きた音の本体が欠けている。はっきりと言おう、あれはまがい物の類であり良い音楽家ならばその違いは歴然としたものである。レコードの音は僕の身体に直接作用し肉体を変える力を有する。原理的にも溝に刻まれた音の記憶を弦楽器が弦を擦るように再現するレコードは物理的にも楽器の原理に近いわけだ。音を聞くというより体感するのである。音は直接聞く者の肉体に作用し精神を変えてしまう。CDにはその力はない。耳には届くが身体を振動させる力はない。オーディオにうるさい人はよく「原音に忠実な」という言い方をする。微細に計測された客観的なデータとして示すことができるデジタル化された数値を基にデジタル録音の正確さを主張するのである。その微細な違いは計測の仕方によって常に進化するから、新しい機器の販売には好都合であろう。しかし音楽演奏について原音などというものは実はどうでもよい事なのである。演奏される音と音楽は生きた人間から生まれ、聞くのはやはり生きた人間であるという点を忘れ、あるいは無視してあくまで計測可能なデータを最優先するからそのようなことを言ってしまうのであろう。聞いているのは実は音楽でなくてただの雑音であるかもしれないと反省してみることだ。レコードがいまだに愛されている理由をよく考えてみると深刻で大切な問題を含んでいるように思われる。


 同じようにカメラも、昔はすべてフィルムカメラであった。僕は写真を撮るのも好きだったから、一眼レフの使い慣れたカメラを愛用してきた。ドイツに住んでいた頃にはコダカラーの色調がドイツの暗い光の中での色調を味わい深く再現していて大変気に入っていた。その頃はすでに日本ではデジタルカメラに切り替わり始めていて、これもアッというも間にデジタルカメラの時代が来た。日本に帰国しても僕はフイルムカメラにこだわっていたが、プリントするとがっかりすることが多くなった。コダックフイルムの現像と焼き付けのラボが驚くほど少なくなっていて、フイルム自体も廉価な中国産ばかりになり良いフイルムを手に入れるのにも苦労した。コダック本社に問い合わせ遠くの小さなカメラ屋さんにコダックのラボがあることがわかって、すべてそこに頼むことにした。そこの店主もこだわりがある人で僕の写真に関しては大変丁寧な仕上げをしてくれた。その店もつぶれ、最後には東京現像所に送ってみたが、もう気力も尽き果てて、カメラは携帯の写メで撮るくらいになってしまった。しかし最近デジタルカメラも進化したと聞き一眼レフと同じ感覚で撮れる高級機を買ってみた。しかしそれは非常に精密で驚くほどクリアーな絵ではあるが、僕が撮りたかった空気感、対象までの空気の存在が欠如した絵しか撮れなかった。(原音に忠実な、というフレーズが聞こえてくるようだ)それをパソコンで処理し味付けをするのであろうが、僕にはむなしい作業のように思えて、写真に昔の情熱は湧かなくなった。シャッターを押す時の気迫が持てないのだ。
 8ミリカメラもドイツで買ったものがあるが、このカメラを持つと映画監督になったような楽しみがあった。優れた最新のカメラだったから、フェードイン、フェードアウト、オーバーラップ、スローモーションなど駆使出来てそれは楽しかった。フィルムカセットは秒24コマで4分少ししか撮れない。無駄をしたくないから演出し撮影計画を立てて一気に撮影する。それをフィルムを買ったときに付いてきた封筒に入れて送れば現像したものが戻ってくる。それを自分で編集する。切っては繋ぎして、ヨーロッパを旅した映像を1時間程度の長編にまとめたこともある。映画はフイルムでなければ芸術性は失われる。過去を振り返るという時間の厚みが、ヴィデオカメラでは絶対に出せない。せいぜい監視カメラくらいが適役である。同時性がヴィデオの特性だから。

現代は科学の時代であり、すべてデータと数値で物の価値を判断する習慣が我々に染み付いている。デジタル化に対しての僕の違和感は単なる個人的な想像力のなせるものなのか?想像力とは実際にないものをあるように錯覚するものなのであるのか?そうではありますまい。人間として生きている中で豊かさを感じるときには、計測しえない一見不合理に見えるものを愛する僕たちの命が判断しているに違いない。科学はまだその世界を計測することは出来ないから、まるでそれを恐れるかのように回避して僕たちを科学的な思考に縛りつけ押し流そうとしているようだ。僕たちはより理性的になり、自分の命と向き合いもう一歩深く考え行動しなければならないのだ。 簡単に、芸術は人間を豊かな世界に誘う、などと安易に言ってはならぬと思うのだ。科学の時代を人間の理性で検証するという力業が必要であろう。未来には人間的思想というものが確立されねばならない。曖昧な思想という意味ではない。哲学者・芸術家はそれぞれの領域で強くあらなければならない。 レコードの音のことから様々なことを考えた。

関東では青空の広がる元旦を迎えた、穏やかな光の中初詣の人々が孫を連れて歩いている。

今年もよい年でありますように。 僕は又4日から入院する。病院は好きではないが治療をしてまた音楽したいので頑張ろうと思う。

 

闘病記

2018年12月27日 記

突然病人になってしまいました。しかも悪性リンパ腫という血液の癌です。ここ一か月半に亘って経験したことのない様々なことが起こって肉体的にも精神的にも変化が起りました。しかしそれは必ずしも悲観的に考えることばかりではありません。ものの見え方が純粋になったというか、人間が良く見えるようになったように感じています。 体調を崩して、というだけの理由で東京松尾ホールでのセミナー、札幌でのセミナーを突然中止し、皆様からご心配の声をいただきました。ありがとうございます。現在は入院治療と自宅療養を繰り返す化学療法を受け始めて少しは落ちついたのでご報告したいと思います。 これからはこのホームページ上で、今まで見た美しい景色、音楽の記憶、そして若い人に考えてもらいことなどを綴っていきたいと思います。

夏の終わりころから腹痛を時々感じてはいたのですが、10月末になって痛みは背中に広がり耐え難いものに変わりました。近くの医者に診てもらい、すぐに大きな病院で造影剤をいれたCTを撮り診断を受けた結果が、悪性リンパ腫が疑われるという事でした。この35年来の付き合いになるお医者様は人間的な人で顔に心配がすぐに表れる人で、その表情からもこれは大変なことになったと覚悟しました。すぐに柏にある国立がんセンターでの精密検査に入るように言われました。痛みは日ごとに強くなって、すでにロキソニン無しにはいられなくなっていました。しかし私には11月14日に札幌コンサートホールでピアノリサイタルがあり、17日には友人のピアニスト海老彰子さんが責任者を務める横浜国際ピアノフェスタでの講演もありました。この二つはどうしてもやりたかったので、がんセンターの予約を19日にして、気持ちを切り替え練習も再開したのですが、10日には全く食べられなくなりました。痛みは全く経験したことのないもので、まるで無数のガラスの針で絶え間なく刺されるような痛みで、痛さで意識を失いそうになるほどでした。癌の痛みは辛いと聞きますが本当です。リサイタル当日もロキソニンの効いている時間を計って薬を飲みながら行いました。集中を切らしたら大変なので音楽を進めることにエネルギーを注ぎました。ワルトシュタインの二楽章から三楽章に導かれるところ、この曲の最も美しく演奏の難しいところだと思いますが、何回か弾いた中でもこの恩寵のような天上界の響きを無心に追い弾けたように思います。演奏しながら驚き感動する瞬間は至福の時です。シューマン幻想曲の最後の和音の響きがホールに消えていったとき。何かが終わったという想いが押し寄せてきました。
終演後の反応を見ると体の異変は気づかれずに済んだようでした。
その後数人の生徒たちと近くの洒落た喫茶店でお茶を飲んだ頃からいけませんでした、痛みが緊張の解けた体中に広がり、その夜は救急車を呼ぼうかと思うほどでした。
 
 19日に国立がんセンターで診察を受けました。医師はちょうど娘くらいの年恰好の女医さんでしたが、データを素早く読み取り無駄のない的確な言葉で病状を説明してくれました。現代の最先端医療の現場を支える若い研究者の姿に頼もしく明るい気持ちになり、研究のために我が病状を提供しようという気持ちになりました。何事でも真剣に取り組んでいる若い人を見ると応援したくなります。かなり進行した癌で決して楽観はできない、というような言い方であったと思います。
 
 家に帰って、この先の公開講座、地方でのレッスン、来年に予定の公開セミナーをすべてキャンセルしました。弱い冬の日の光が当たった庭の樹に残った紅葉に目を止めた時、私の中で何かがパーンと響きの良い音で弾けた。最初に浮かんだのが、「もうピアノを弾かなくていいんだ!」という言葉でありました。不思議でした。将来に対する計画、理想それらが消えて、庭の樹と同じく生命として存在するだけの、無重量状態になった感覚とでも言おうか。それは実に平和で静かなものでした。アンドレイが銃弾に打たれて倒れ、見上げた青い空に、「何という静寂と平和!」と感じたあの平和であります。(トルストイ戦争と平和)
私はこの感覚をこの先手放さないだろう。それからは自然や人間の真の姿がよりはっきりと見えるようになりました。
病状については、精密検査のあと12月12日よりがんセンターと関連ある総合病院に入院。抗がん剤の化学療法を開始しました。あの凄い痛みは消えました。副作用による辛さはありますが、自分の体の中はがん細胞との戦場になっているのですから、私の臓器に頑張ってもらうしかありません。
いまは退院して自宅で療養しています。家にある30年以上使ったオーディオを気分一新新しいものに変えて、レコードで昔の巨匠たちの演奏を聞いています。夜中、蝋燭をともしカザルスのバッハを聞く。気高い精神に触れ体に音がしみ込みます。学生時代と同じことをしている自分、50年を経てあの頃と同じ感動を味わっている自分が嬉しいのです。
 
音楽とは最も純粋な芸術であります。魂そのものであるから。