コラム&エッセイ

北海道大雪山の秋

 9月中旬、早くも大雪の山々は紅葉の盛りである。高山の紅葉はあっという間に過ぎ去る。そのほんの一瞬の輝きは素晴らしいものだ。今年も紅葉の知らせを受けて、すぐに北海道へ向かった。高原山荘から大小の沼を巡って歩いたが、見事な紅葉であった。二年前にもこのコースを歩き感激したが、今年の紅葉はまた一段と素晴らしかった。大雪山の標高1500メートルあたり、沼に映る紅葉は冷たい秋の澄んだ空気の中で輝いていた。
大きい自然を前にして動物と同じ気持ちになって自然の中にいる自分を感じる。実際この辺は熊の巣といわれるくらいのヒグマの生息地である。ヒグマの出没に合わせて歩けるところが制限される。今回は空沼まで歩けた。

大雪山という山はなく、赤岳、黒岳、白雲岳、緑岳などという山々が高い台地を形作っている全体を大雪山という。赤岳にはよく登った。銀泉台からの登山道は高山植物の宝庫である。7月中旬まだ雪渓がたくさん残る道を登っていくと、頂上付近は雪渓に覆われた中腹よりずっと早く花が咲き始めている。風を避けるように岩陰に小さな花々が寄り添い咲いている。赤岳から小泉岳辺りはそういう花々が密集していて、身を低くして花の視線にしてみると・・それは何とも素晴らしい花園であった。

 
黒岳から北海岳を経由し白雲小屋に泊まった夏のある日、早朝、明け始めた空には星が輝いていたが、腰かけた岩の周りに咲く花を見ていた。風もないのに花が揺れる。よく見ていると小さな花々が別々の方向に動くのだ。不思議な感覚に襲われた、まるで花々が話をしているようにみえて、何の話をしているのかと夢想した。全く音のない静寂の世界、遠くにはトムラウシの姿、高根ヶ原に伸びるトムラウシへの道、大雪山には美しい思い出がある。大雪山は優しい花の山である。
 
後ろ髪を引かれる思いで高原沼から引き返して下山してきた。大雪山の紅葉の景色をお伝えしたい。
 

遠野の祭り

 私は北海道まで車で移動することが多い。9月中旬、北海道からの帰り道、ちょうど遠野の祭りがあることを知り立ち寄った。遠野の祭りを見るのは二度目である。前回は大震災の年の秋であった。壊滅的な被害を受けた釜石や大槌町からも多くの人と神輿が参加し、心を合わせて復興を祈願する熱気にあふれていた。祭りは本来見るべきものではなく参加するべきものである。足並みを合わせて神輿を担ぎ、踊り、ともに収穫を祝い神に感謝するものであろう。しかし現代においては、すべてが難しくなってしまった。私は祭り本来の力を感じたくて、江戸時代の農民になった気持ちでそこに存在するように意識を集中して祭りを見ていた。たしかに東北の祭りには熱がある。祭り本来の力を感じる。遠野の町は小さい町である。どこにこれだけの住民がいたのかと思うほどに多くの人が集まっていた。歩き始めた幼児までが神輿を追う。京風な南部ばやしの行列では、薄化粧し、鼻筋に白い線を引いた稚児の幻想的な美しさに驚いた。特に夜には、調子が一段と上がった激しい獅子踊りや、暗闇に浮かぶ娘たちの美しい姿などが不思議な想像力を喚起し、まるで黒澤明監督による“夢”の一場面を見るかのようだった。生き生きとした想像力・・この力を現代の我々はどれほど持っているだろうか。

柳田国男の遠野物語の話は現代においては不意を突かれるような話であろうが、実際にその通り本当の話であるとして読んで初めて命ある話となる。ノスタルジー的な気分を追うのではなく、幼いころの想像力に戻って読まなければならない。

 次の日、この地方の“おしら様”を祭った伝承館でこの土地に伝わる民話を土地の言葉で語るおばあさんの話を聞いた。祭りを見に来た人たちが多く来ていて、たくさんの人に囲まれて囲炉裏に車座になり話を聞いた。方言のイントネーションはクラヴィコードで古い知らない国の音楽を聴くような心地よい感覚にさせられた。荒唐無稽な話を一心に聞き入る人々の顔が実に嬉しそうであることを確かめて私は感動していた。子供のころ天井の板の木目に怖い顔を見て怯えた心を忘れてはいけない。“なまはげ”に泣く子供の心を忘れてはいけない。
 合理的に考え、正しいことを導き出すように躾けられた我々に、遠くなった昔の、想像力に満ちた世界は人生の豊かさについて深く教えてくれるのである。
帰りの車窓から見る実った稲穂の美しい田がより美しく感じられた。